無期限活動休止について

いつも応援してくださっている皆さま、

この度は突然の活動休止のお知らせとなり、驚かせてしまったかもしれません。

例年のお約束通り継続することができず、申し訳ございません。

なぜ、活動休止することに決めたのか、わかりづらい文章かもしれませんが、ここで説明させていただきます。

 

手伝ってくれる友人の力を借りつつも続けていく決定権は私にあったので、

休止の理由が私の個人的な気持ちが大きいことについて申し訳なく思っております。 

主催・スタッフ間・参加者とのトラブルなどでは一切ございません。

ただただ、私の力不足であることをご理解ください。

 

また、ここに記せることは理由の一部であることもご理解ください。

バラバラなようで一つひとつ繋がった理由です。

あいまいで分かりづらい表現も多いかと思いますが、

以下を今時点の自分の気持ちとして、休止のご報告とさせていただきます。

関西を離れたこと

 

実は2018年から関西を離れ、新幹線で神戸IDAHOに参加していました。

神戸を離れたことも、様々な事情から一切隠すようにしていました。

そのために、友人や知人に道路使用申請を依頼しなければならず、

交流会などを事前に開催することも難しい状態でした。

 

IDAHOは自分の地元である関西をよくしたい、という気持ち1本でやってきました。 

そのため、関西を離れても継続する気持ちは強くありました。

 

A県(引っ越し先)で居場所を見つけよう、引っ越してから5年間いくつかのLGBTQに関するコミュニティに行ってみたこともありました。

大人数のコミュニティや、小さなコミュニティ、人見知りながらパレードで隣の人に話もしてみました。

でも、うまくなじめませんでした。

神戸IDAHOをA県でやってみようかと思ったこともありました。

でもA県には知り合いが1人しかいません。

知り合いがいない中で、A県で何かを始めるにはハードルが高すぎると感じました。

「地元」を離れた私が、「A県」という見知らぬ土地から地元に力を注ぐことがだんだんと難しくなっていきました。

 

私がLGBTQについて向き合い始めたのが2007年。

私がLGBTQコミュニティに出会ったのが2008年。

 

そこからさまざまな出会いと別れがあり、全てが私の中に蓄積していきました。

2007年から10年近くで一生分頑張ったなと思うくらい、本当に色んな事がありました。

コミュニティの中でクローゼットでいること

  

私は、LGBTQコミュニティでほとんど自分のセクシュアリティや状況を話していません。

古くからの知り合いや一部の人に話すことはあります。

神戸IDAHOをやりながら、私は毎年「今日1日だけでも自分のままでありたい」そう願います。

来てくれた人が今日1日だけでも本当の自分で過ごせたならと心の底から祈ります。

でも、いつの間にか、私こそ本当の自分を出せていないんだな、と気づくようになりました。

カウンセリングの中で、「自分に向けた言葉を友人に向けられるか」と言ってもらったことがあります。

きっと私が自分に言う言葉を友人には向けられない、だから自分の恐怖はすべてが事実ではないとも思います。

でも、私の本当のセクシュアリティを言って、

私が今どんな状態にあることが事実なのかを話して受け入れられないとも思ってしまうことも事実です。

誰もが自分らしくと思って開催している中で、私はクローゼットのまま。

神戸IDAHOに行くと自分らしく笑える、今日があってよかったと思える、心の底から笑顔だな、と思います。

だけど、私はクローゼットなんだな、とも思います。

コミュニティの中でクローゼットのままでいることが、だんだん苦しくなっていきました。

 IDAHOを開催するだけのエネルギーをチャージできていない

 

私のセクシュアリティのことでしんどいな、生きづらいな、辛いなと思うことがあります。

そのきっかけは当事者ではない、LGBTQについて知らない人からだけではありません。

同じ仲間だと思っている人から私のセクシュアリティについて悲しい一言を投げられたこともあります。

(これを読んだ人に勘違いしてほしくないですが、1:1のその人の関係において、ということもあります。)

どんなセクシュアリティだろうと、悲しい一言を投げられることが無くならないことは知っているし、

だからこそIDAHOをしたいし、愚痴をはいて進めばいいとも思います。

でも私にはそのマイナス体験をプラスに変えるだけのプラスの出来事が積みあがっていないんだと

気づくきっかけがありました。

インプットがないのにアウトプットすることはできない…。

当たり前のことだけど、自分の状況を自覚しました。

 本当の意味で「みんな」と言える場所を作りたかった

 

 私がIDAHOを続けてきた最大の理由は

「みんな」というとき、本当の意味でみんなを含みたかったからです。

障害があってもなくても、どんな地域に住んでいても、どんなルーツでも、どんな国籍でも

どんなセクシュアリティでも、どんな事情があっても、どんな家でも、どこにいても誰といても。

 

私は、私が「みんな」の中に入りたかっただけなのかもしれません。

 

「みんな」と一緒に「みんな」が含まれる場所を作りたかった。

 

レインボーフラッグだけを掲げることは違和感があって

いろんなフラッグを作ったのもそれが理由です。

神戸IDAHOに来るひとはどんな事情があってもいい。

 

立ち上げ当初は勢いだけでしたが、それ以降の自分の目的は、

それはたぶん、私がコミュニティで居場所を見つけられなかったから

自分が含んでもらえる場所を作りたかったんだなと思います。

応援者でもいいかも

 

私はこれから応援者になりたいなと思っています。

神戸IDAHOを休止しても、私のセクシュアリティはなくならないし

相変わらず生きづらさや困りごとはなくなりません。

もう誰も失いたくないし、誰もが生きやすい社会を作りたい、それはずっと変わりません。

コミュニティには少しずつ、できるときだけ、応援者として関わっていきたいと思っています。

 

今までいただいたご支援の残りは、すべて信頼できるコミュニティにお渡ししたいと思っています。

ラジカセなど備品は和歌山でIDAHOを開催されている特定非営利活動法人 チーム紀伊水道さまへお渡しいたします。

※会計の整えは後日行い、改めてHPで公開させていただきます。

 

このように考えたきっかけはLGBTQと関係がないのですが

我が家に保護猫を迎えたことでした。

ネコリパブリックという保護猫団体から譲渡していただいたのですが

ネコリパブリックの活動を応援したり、寄付しているととても感謝していただくことがあります。

猫を2匹引き取って、育てているだけで感謝していただけます。

牛乳パックの底を集めたり、グッズを買って支援すると十分に役に立っていると感じられます。

 

それを考えた時、

私は神戸IDAHOを応援してくれる皆さんが、

気持ちを向けてくれるだけで嬉しいことと同じだな、と気づきました。

 

先頭に立たなくても、私はちゃんとコミュニティや社会を良くすることに貢献できるのだと知ることができました。

これからは応援者として、自分のエネルギーがしっかりチャージされているときにできることをやっていきたいと思っています。

すべての関わってくれた皆さまへ

 

一度でも神戸IDAHOを知って、気持ちを向けてくれた人全員に、心からお礼申し上げます。

13年間本当にありがとうございました。

 

何回もマルイをぐるぐると回りながらやっとの想いで声をかけてくれた方

友達と偶然会って、その場でカミングアウトして嬉しそうに走っていった高校生

神戸IDAHOでの出会いをもとに各地で交流会をはじめてくれた方

いつもいつも一緒に参加してくれた親友。あなたがいたからチラシが配れました

香川から駆けつけてくれた大学の友人

フリーハグをするために一緒にコラボしてくれた友人

私の顔を見に来てくれて本当に嬉しかった大先輩

言いづらそうに自分のセクシュアリティを打ち明けてくれた方

マイクで話す私のことを遠くから見てくれた方

ブルーシートだけ持って突然何かを始めた私を支えてくれた元パートナー

私にIDAHOをやるきっかけをくれた大阪IDAHOの皆さん

いつもいつも足を運んでくれた方

参加はできないけど遠くからずっと見守ってくれていた方

ドイツから来て「日本で初めてレインボーフラッグを見た」と嬉しそうに言ってくれた方

マイクを持って母校のレインボーウィークの宣伝までしてくださった先生

家で友達と巨大なものをどんどん制作している私をそばでずっと応援してくれた親

和歌山からいつも気持ちを送ってくれた方

一緒にチラシを配ってくれたつなぐ会のお母さんやお父さん

パネルにメッセージを書いてくれた方、フラッグにメッセージを書いてくれた方

昔神戸に住んでいたときに知ってそのあと偶然見つけた、うれしいと言ってくれた方

毎年差し入れを余るほどくださった神戸の活動の大先輩

新聞記者として応援してくださった記者の方

私の作るものを良いと言って喜んでくれた方

笑顔でそこに立ってくれていた人

顔を隠しながら旗を振ってくれた人

一緒にマイクを握ってくれた人

ただ近くで見守ってくれた人

駆けつけてくれた大学の先輩

手話通訳をしてくれた方

メッセージを英語に訳してくれた方

知らないふりをしながらチラシを受け取って、そのあとそのチラシを空で仰いでくれた方

私が活動できない間つないでくれた友人たち

コロナ禍でラジオなど一緒に考えて動いてくれた友人たち

 ラジオに出させてくれて応援してくれた皆さま

クラウドファンディングを応援してくれたすべての方

神戸IDAHOのグッズを嬉しそうに手に取ってくれた方

ずっとそばで支えてくれて、スタッフをやってくれた友人

私のメンタルがおかしくなった時も離れずにいてくれてありがとう

歌を歌ってくれた友人

今は空に行ってしまったけど、私に「堂々と生きたらいい」と言ってくれて

一緒に看板を作ってくれた大好きな友人

あなたがいたから神戸IDAHOはいつも笑顔がいっぱいだった

ここに書ききれないほどの出会いがありました。

クラウドファンディングで応援してくださった皆さまがいたから

2023年まで走り続けることができました。本当にありがとうございます。

皆さまがくださった気持ちとご支援のおかげで

神戸IDAHOはクラウドファンディング後7年続けることができました。

 

私のまとまりきらない文章を読んでくださった皆さま。

ありがとうございました。

 

これからも私は私のできることを。

神戸IDAHOでずっと胸に持っていた想いは残り続けます。

誰かにとっての神戸IDAHOが、ふと思い出して支えになっているのなら。

私と皆さんが駆け抜けた13年間は意味があったと思います。

「この日があるから明日生きようと思える」そんな日にしたいと思ってやってきました。

命を救えたのかはわかりません。

でも誰かの1日を、少し楽しみにできていたらよかったと思います。

誰よりも私が救われました。皆さんのおかげです。

私はこの13年間を大切に持って、これからも時々思い出しては救われていきます。

あなたにとってもそうでありますように。

 

 

書ききれない想いを残しながらこれで締めたいと思います。

本当にありがとうございました。

 

 

小林和香 

2024.4.30

過去の活動履歴はこちらから!

 

2011年の様子